私がヴィーガンになった理由

ヴィーガンについて

みなさんこんにちは、ヨコロジーのヨーコです。

イギリスで初めてのヴィーガンブッチャー(ブッチャー=お肉屋さん)ができたそうです。色んな種類のお肉に似た加工品が売っているようで注目を集めています。
世界初ヴィーガン“お肉”屋さん

さて、ヴィーガンについて検索すると「辞めた理由」というのがよく出てきますが、なぜ辞めた人の話にばかりマイクが向けられるのか不思議です。

ヴィーガンを継続している人はその何倍もいると思うし、私自身も4年になります!

そこで今日は「私がヴィーガンになった理由」をお話します!

結論を先に言うと、お肉を食べなくなったのは「種差別」に気が付いたから。

「種差別」??あまり聞かない言葉かもしれませんが、文化として当たり前になっていて気づきにくい差別です。

それでは私がヴィーガンになるまでのきっかけと、お肉を食べることが差別な理由をお話します!

動物を食べているという実感

そもそも私はお肉を食べる=動物を食べているという認識があまりありませんでした。

でも以下の経験を経て、それは徐々に変わっていきました。

実感1:毛がついた子牛の肉を調理

約5年前、私はニュージーランドにいました。

酪農家のご家庭でお手伝いをさせていただいて、料理を含む家事全般を担当していました。

牛に囲まれた生活ですが、牛肉を食べることは意外と少なく、特別な日の為に冷凍保存してありました。ありがたいことに、その貴重なお肉を私の勤務最終日に振舞ってくれたのです。

(酪農ではオスは不要なため、ほとんどの場合子牛のうちに殺さなければなりません。殺した牛を家までトラックで運んできて、処理をして冷凍しておくんです。血まみれのトラックを掃除するもの大変な作業だそう。私は直接みていません。)

さてそのお肉を、私が調理したのですが、そのとき…

肉に…毛が、ついてる…

そうなんです、血と皮はとってあるものの、一部に毛が残っていたのです。

毛を取り除く初めての経験。毛はするする抜けるわけもなく、ついているところを切り取る、なんとなくそこから「生きていた牛」を想像できるような、「動物の体の一部なんだ」と実感しました。

実感2:獣臭さを感じた

その「毛が生えてた事件」から約4カ月後のある日、スーパーで鶏の手羽元を購入し、調理して食べたときのことです。

え、なんか…臭い

酢と煮込んだのに、これまで感じたことのない独特の臭いを感じたんです。
そこで「これって動物の臭いなのかな」と、動物を食べているという実感を持ちました。

腐っていただけかもしれませんが。。。

実感3:骨の断面をみた

時系列が前後しますが、ヴィーガンになる3年前くらいに、カナダで始めてお肉を買ったとき、料理しようと思ってお肉を手に取ったら骨がついていてギャーーーとなったのを覚えています。骨ごとぶつ切り状態でした。

日本のスーパーでは手羽やリブ以外は「骨なし」が基本で、骨の断面をみることなんてめったにないですよね。
カナダで日本のようなお肉を買いたければ「骨なし・皮なし」を選ぶ必要があったのです。
そんなことは知らなかったので、衝撃を受けたのを覚えています。

日本の肉はきれいすぎる

現在私がいるウルグアイでは、精肉売り場は強烈な匂いがします。ちょっと田舎のスーパーでは丸ごとつるしてあるし、なんともグロテスクです。
私がたとえヴィーガンじゃなかったとしても、その光景と匂いは無理だったと思います。

日本のお肉は発泡スチロールのトレーに小分けされラップで包まれて、肉自体も売り場も臭いはしませんよね。毛もなければ骨も皮も綺麗にされていて、とてもじゃないけどそれが生きた動物であったことを連想するのは難しい。ほとんどの人が「動物」というより「お肉」という食べ物として認識していると思います。私がそうだったように。

豚肉、鶏肉、牛肉…

それらはただの食べ物の名前ではなく、どの動物の肉体なのか、を指しているわけです。

「種差別」に気が付いた

上で述べた3つの「実感」があったのにもかかわらずまだお肉を食べる生活をしていました。

しかし友人とニュージーランドで旅をしていたときのことです。

ニュージーは羊の数が人間よりも多いと言われるだけあって(実際には牛の方が多いようですが)車で走れば右に左に動物をみることができます。
出産シーズンだったのか、ニワトリの家族、豚の親子、と立て続けに出会い、子牛が追いかけっこをして遊んでいるのを目にしました。

それを見るたび車をとめ「可愛いー!!!」と言って写真を撮っていました。

その時、自分の中にひとつの疑問がわいたのです。

でも私この子たち食べてるんだ。。。
「犬・猫」と「牛・豚・鶏・羊」の違いは何だろう。

一方は可愛がり、一方は殺して食べる。そこに線引きをする理由、納得する答えが見つからなかった。

私にとっては全て愛おしい動物。

それからお肉を食べるのを辞めました。

のちにこれは「種差別」と呼ばれるものであると知りました。
人間も一種の動物であるにもかかわらず、人間は他の動物を別のものと考え差別し、さらに動物のなかでも、可愛がるもの、殺して食べるもの、と差別することです。

ヴィーガンに出会う

お肉を食べなくなって約2カ月、日本人のヴィーガン女性に出会いました。そこで初めてヴィーガンという言葉を知ることになります。

その翌日、たまたまヴィーガンピクニックがビーチで予定されていて、私がお肉を食べないのを知った彼女が誘ってくれました。

食べ物を持ち寄るピクニックで、そこで食べたものが私の人生を変えたと言っても過言ではありません。本当に全て美味しかった!!
一番驚いたのは、マフィンなどの焼き菓子。

え!お菓子って卵も牛乳もバターも使わずに作れるの!?しかもこんなに美味しく!

もう疑う余地もなく「動物の犠牲なしに美味しいものが食べられるならそれでいいじゃん!」とその日から食生活を変えました。

私は超単純な人間なのかもしれないけど、理由はそれだけ。小難しい論理とか環境のこととか、畜産業界の実情とかは全てあと付けでした。

「いただきます」の意味

「いただきます」と言う事が日本ではしつけであり、それが習慣でした。ただ決まり事を守って感謝したつもりでいました。どちらかというと、作ってくれた人や働いてごはんを食べさせてくれている人に対する感謝が大半だった気がする。

「いただきます」ってどういう意味?と外国人に聞かれて改めて気が付きました。

言葉自体の意味は「命を頂く」という意味ですよね。それだけの重みを感じながら言ってたかな。

感謝して食べましょう?
感謝しても、奪われた命はもどってこないし、苦しみがなかったことにはならない。

自分や家族がその立場だったらどうだろう、感謝してもらえるならどうぞ殺してくださいって言えるか?
私は感謝されても殺されたくない。
殺されるときの恐怖は動物も感じるので、恐怖に震え、殺さないでと訴えるのです。

いただきますって感謝するって、死んでくれてありがとうって意味?
でも実際には、死んでくれているんじゃなくて、人間に殺されているんです。
生きた動物の目を見て「いただきます」いえるだろうか。みんなお金を払って殺してもらってる認識あるかな。

「植物にも命があるから動物を食べるのと同じ」と思うかもしれない。確かに植物にも命がある。でも動物を食べるということはその動物が食べた大量の植物の命も食べているということを理解しているだろうか。更にそれが原因でアマゾンやオーストラリアの火災が起きている。
最低限の命の犠牲で済むのはどちらか
、と考えてほしい。

 

まとめ

これが私がヴィーガンになった理由ときっかけです。情報からではなく自分が感じたことを行動に移したらそうなりました。ヴィーガンを知ったタイミングもぴったりだったんだと思います。

動物が可哀そうだというレベルの話ではなくて、肉や動物製品を食べるのは(過程を含め)暴力だし、差別だと気がついたからやめました。自分が生きるために他の動物に死んでほしくない。私は最低限の犠牲のもとに生きていきたい。それが可能なんだもん。

こうして私が記事を書いている瞬間にもたくさんの動物が苦しみ殺されています。

それはお肉や動物製品を消費している人がいるから。革や毛皮もそうです。
人間はこの地球上で全てを自分たちの思い通りにして、欲にまみれ、他の命を尊重することも忘れてしまったのでしょうか。

動物がたたり神になる映画に感動するのに、現実に起きていることには見て見ぬふり。

動物のことでイメージするのが難しければ、いじめられている人がいたら、一緒にいじめる?見て見ぬふりする?「やめなよ」っていう?

と考えてみてください。

一緒にいじめる=動物製品を買う
見て見ぬふりする=動物製品買わないど特に何も言わない
「やめなよ」っていう=動物製品買うのやめようっていう。

私はやめなよって言いたい。だからこうして書いている。

犬猫と牛豚鶏羊、違いはある?

動物への差別に気づいて、自分たちのエゴに気づいて、優しい選択をしてほしいと切に思う。

言葉は話さないけど、何も悪いことしてないよ。
お願い、殺さないで。🐄🐷🐓🐤🐟🐇🦊̪̪🦌🐴

ナイフじゃなくて愛をむけよう💚

 

 

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